第1章 新人MR4つの疑問
1 新人MRにもっとも必要なことは何ですか?
ズバリ、言葉づかいや挨拶などの社会人としての一般常識です。
新人MRがこれから接する多くの先生方が、そうおっしゃいます。
裏を返せば、新人MRに社会人としての一般常識に欠ける人が少なくないという現状があり、またこの業界に飛び込んできた新人MRへの期待の表れでもあります。
たとえ体育会系の部活を経験していたとしても、先輩との年齢差はそれほど大きくなかったはずです。これからは、自分の親と同世代、あるいはそれ以上の方々とビジネスという社会でコミュニケーションを図っていかなければならないのです。
社内の人間関係は、さらに顕著な縦社会です。導入教育中は同期と席を並べる横社会ですが、赴任すると、初めて体感する正真正銘の縦社会に身を置くことになります。医療機関の先生方も、社内の上司や先輩MRも、まず新人MRに望むことは「社会人としての言葉づかいときちんとした挨拶ができること」なのです。
挨拶の声が小さくて相手に届かなかった。その結果「挨拶もろくにできない」と叱られてしまった。そこで「挨拶を忘れたわけではないのに…」と考えては、社会人とはいえません。
社会人は結果がすべてです。声が小さくても、タイミングが悪かっただけでも、相手に届かなければ、挨拶を忘れたことと同じなのです。悪意や失念のあるなしは酌量してもらえません。
社会人としての一般常識とは、新人MRの言動、立ち振る舞いなどの礼節だけではありません。服装や髪型、靴の汚れや爪の伸び具合に至るまで、新人MRの「見た目」までも包括します。
クリニックの待合室で考え事をしていたために、患者さんに席を譲ることを忘れてしまった。うっかり病院駐車場で患者さんにクラクションを鳴らしてしまった。これだけでも十分に訪問禁止になり得ることです。
自分では些細なことと思っていても、相手が受け取った印象が絶対なのです。社会では「そんなつもりではなかった」では通りません。
些細なことで、それまで築き上げた信用を一瞬で失うことだってあります。たとえ新人MRであっても、自分の行動や言動には責任を持たなければなりません。
では、どうすれば、社会人としての良識ある行動がとれるのでしょうか?
簡単なことです。それは、人を思いやる気持ちを持つことです。常に真摯な姿勢で仕事に取り組むことです。
新人MRには「初々しさ」や「爽やかさ」という特権があります。真面目に一所懸命に仕事に取り組んでいれば、それが人には「誠実」と受け取られます。相手を思いやる気持ちがあれば、自然に挨拶ができるはずです。
2 文系出身者は不利でしょうか?
MR認定試験だけを考えるならば、理系出身者は文系出身者より有利です。薬学出身者は、受験科目も考えて圧倒的に有利です。
しかし、3年後を考えると、有利・不利はかなりなくなってきます。なぜならば、本人の仕事に取り組む熱意次第で、スタート時点の差が縮まってくるからです。
日本のMRの約60%超が、文系出身者です。確かに導入教育期間中に文系出身者は「どうも畑違いの職場に来てしまった」と思う人が多いようです。しかし、出身学部という要素よりも、入社以降の向学心の方が圧倒的にMRとしての成長に大きく影響を与えます。
社会人が自分をレベルアップさせようとする意欲で取り組む勉強は凄まじいものです。いわゆる「プロ意識」です。
導入教育終了後、新人MRは実地研修、担当を持ったMR活動へ進みます。この日々のMR活動こそが、自分を向上させる勉強の場なのです。接する先生方や先輩MRが講師でもあり、教材はそこかしこにたくさんあるはずです。いつも疑問を持ち、わからないことをわからないままにしないこと、これが自分を成長させる早道です。
ただ漫然と得意先を廻っている人と、常に新しい知識を吸収しようとしている向上心の強い人では、あっという間に差がつきます。もし、「文系出身が不利だ」という不安があるならば、より強く向上心を持てばよいことです。
教育学には「喉が渇かない馬」の理論があります。喉が渇いていない馬に無理矢理に水桶を持っていっても、馬は水を飲みません。この場合、「馬の喉が渇くまで待つ」しかありません。
では、どうしたら「喉が渇く」でしょうか? それは、飲みたいという思いを起こさせることです。
勉強も同じです。日常のMR活動で、「なぜだろう?」とか「どういう意味だろう?」というように、いつも知識に飢えている自分を作ることによって向上心が生まれます。
導入教育も継続教育も、受け身の受講では身になりません。誰しも人から押しつけられたカリキュラムを嫌々ながらこなすより、自発的に学ぶ方が頭に入ります。
出身学部のことを気にするより、いつも知識の吸収に貪欲な自分を作ることです。仕事が楽しいと思えるようになると、どんどん知識に飢えてきます。会社にも、また医療機関にも、教材はたくさん溢れています。
こんな環境で仕事ができるMRは恵まれていると思いませんか?
3 MRの仕事は営業でしょうか?
かつてMRは「プロパー」と呼ばれていました。しかし、活動内容や過剰な販売活動が問題視され、心機一転「医薬情報担当者=MR」となり、学術面での活動に専念することになりました。さらに、「医療用医薬品の販売情報提供活動に関するガイドライン」の運用が始まり、MR活動に対するルールはより厳格になりました。
MRの業務は医薬情報の提供、収集、伝達とされ、医薬品の適正使用並びに薬物療法の向上に貢献することを活動の目的にしています。
もしMRの仕事が営業ではないとするならば、これらの業務はすべてインターネットやメールで事が足りるはずです。最近では、インターネットを利用したe-ディテールも活用されています。
しかし、ほとんどの企業で、MRは営業本部に所属しています。これはなぜでしょうか。
副作用がまったくない医薬品は存在しません。患者さんの病態は一人ひとり違います。その患者さんに対する治療は、当然画一的ではありません。
そのため、どうしても医療にはMRという存在が不可欠です。医薬品の適正使用のためには、MRの営業活動が必要なのです。
MRの人件費が医療費の一部であるという考え方もあります。しかし、MRが高い倫理観を持って社会貢献を果たしているならば、医療費の一部とされても何ら問題はありません。患者さんを第一に考え、薬物療法の向上に貢献することこそがMRの社会的使命です。
患者さんのことを考えない営業活動は許されることではありません。これでは、MRの社会的使命を忘れています。
4 AIが進化したらMRの業務がなくなるのでしょうか?
AIが飛躍的に進化しており、MR活動にも変化が見られています。しかし、MRの業務をすべて電子的な情報提供に代替することは不可能であり、医薬品の適正使用は破綻してしまいます。というのは、市販直後調査など安全管理情報の収集には「人」を介さなくてはならないものが多くあり、電子的には限界があるからです。
MRの行動が唯一リーガル(厚生労働省令)で規定されているのがGVPです。MRが直接医療関係者に面談することが義務付けされています。また、近年では副作用情報は連絡を待つのではなく、積極的に入手するスタンスが推奨されています。すなわち、安全管理情報の収集です。これはAIには絶対にできません。
たとえAIがどれだけ進化しても、絶対に人にはかなわない部分があります。
しかし、これまでどおりのMR活動を漫然と続けていると、AIにとって代わられます。MRも常に進化しなくてはならないのです。効率性や正確性ではAIの方が勝っています。ならば、MRもこれまで以上に感性を高め、持てる能力を向上させ、信頼度を高めていくことを忘れてはなりません。また、MRにしかできないことを、より「強み」としていかなくてはなりません。
電子的な情報提供は、MR活動にとって代わるものではなく、MRのツールになります。これを味方にしない手はありません。AIの活用は、MR活動の分析などに有効です。ならば、AIの進化をMRがうまく活用し、より信頼を得ることができる情報提供に進化させるべきです。医薬品の適正使用において、主役はAIではなくMRなのです。
これまで、先生とMRの意識にズレが生じていることが多々ありました。「先生の望んでいる情報が分からない」ということも、よくあることです。かつて先輩MRは「経験値」でこれを解決してきましたが、新人MRにはこれがありません。ところが、AIが飛躍的に進化している現状では、医療関係者のニーズを把握するために、AIが最強のツールになりえます。これをうまく活用できれば、スピーディーに的確な情報提供ができるハズです。
MRはAIとは違い、先生や患者さんの立場でものごとを考えることができます。これは「感情」があるからです。医療や社会に貢献したいという「情熱」があります。この「情熱」こそが、医薬品の適正使用を推し進めるエネルギーになるのです。
信頼されるMRになることは、決して容易なことではありません。膨大な知識の習得と、AIなどの日々進化する技術をうまく活用する能力も必要です。そして最も重要なことは社会貢献への「情熱」です。MRには患者さんの苦難や苦痛を取り除きたいという感情があるから「情熱」が湧いてきます。医療や社会に貢献したいという「情熱」を持ち、真摯な姿勢を忘れないMRを目指してください。