がんの基礎トレーニング

がん遺伝子検査入門(1)

がん遺伝子検査入門
学習の目的

近年、がん治療の分野で大きな注目を集めている分子標的薬、日本でもすでに数多くの製剤がラインナップされています。

従来の抗がん剤に比べ、腫瘍細胞への特異性が高く、ピンポイントの治療が期待できるとされる分子標的薬ですが、効果を最大限に発揮するためには、薬剤に関わる遺伝子検査がきわめて重要になります。その結果は、従来の抗がん剤感受性検査以上に奏効率を左右するといわれるからです。

本学習では、分子標的薬の処方に不可欠な遺伝子検査について、メカニズムや実施手順などをわかりやすく解説していきます。遺伝子検査とは何か、どのような薬剤にどのような検査が行われるのか、さらに、今後どのような検査の導入が予想されるのか、関係を整理し、全体像を把握できるよう工夫してあります。

これらの理解によって、ドクターとの質疑応答、ディスカッションの際の“応答力”を高めること、それが主要な学習目的となります。

序章

がんの薬物治療が本格的に始まるのは、第2次世界大戦以降です。最初に治療の変遷を概観してみましょう。

がん治療はどのように変化してきたのですか?

ステージ別や組織型別といった体系的な治療が行われるようになるのは1970年代からで、この背景には各種診断技術の進歩がありました。

これに呼応するように、1980年代以降、new agentと呼ばれる薬剤が登場します。しかしこれらは、骨髄や粘膜などにも作用するため、がん細胞の特性に合った薬剤とはいえませんでした。

分子標的薬はどのようにして生み出されたのですか?

1990年代、分子生物学の進歩に伴い、がんは遺伝子変異により引き起こされることが明らかになりました。20世紀の終わりには、がんに対する遺伝子検査も行われるようになり、こうした知見が新しい薬剤の開発を促します。分子レベルでがんに対応する分子標的薬の登場です。

各種のがん原遺伝子、がん抑制遺伝子の研究から生まれた分子標的薬は、今やテイラーメイド医療を担う主役として、大きな期待と注目を集めています。

遺伝子が制御されているメカニズム

分子標的薬を理解するうえで、遺伝子制御のメカニズムは不可欠な知識となります。まず、その基本的なしくみを理解しましょう。

「がんは遺伝子疾患である」とはどういうことですか?

前述のように、がんの発生や進行には各種の遺伝子における変異が関与していることが明らかにされ、がんは遺伝子変異により引き起こされる疾患であると考えられるようになりました。

たとえば大腸がんの発がんにおいては、腺腫として発生し、がんへと進行する「腺腫-がん連関(adenoma-cartinoma sequence)」や、正常粘膜から微小がんが発生する「デノボ(de novo)がん」が知られていますが、いずれも多くの遺伝子変異が発がんや、がんの進行に関与していることが明らかにされています。

こうしたことから、遺伝子検査を行えば、がんがどの段階にあるのか、あるいはどのような性格のがんであるかが推定できるようになりました。

また、これらの遺伝子変異によりつくり出される分子を標的とした薬剤を用いれば、個々のがんに適した薬物治療が可能になると考えられるようになってきました。

がん細胞はどのような過程を経て増殖するのですか?

がん細胞が増殖するためには、他の細胞と同様に細胞が分裂する必要があります。細胞の分裂期は前期、中期、後期、終期の4つに分けられます。

間期では遺伝子の複製が行われ、前期では染色体が現れ、中期ではそれが紡錘状になって細胞中心に集まり、後期には細胞の両側に引っ張られます。終期にはこの間にくびれが入って2つの細胞になり、細胞分裂が終わります。

重要なのは、この細胞分裂を起こす前の間期に、複製によって遺伝子が2倍に増える過程があることです。細胞分裂には遺伝子の複製が必要であり、したがって、増殖が盛んながん細胞は、遺伝子の複製も盛んであるといえます。

そもそも遺伝子とはどのようなものなのですか?

遺伝子の本体はDNAであり、遺伝子の集まったものがDNAであるということができます。

DNAは、デオキシリボヌクレオチドという物質が結合して鎖状になったもので、生理的条件下では2本の鎖がゆるく結合して縒り合わさった形状をしています。DNAはヒストンというタンパク質に巻きついており、クロマチンと呼ばれる構造をつくっています。

染色体はこのクロマチンがさらに巻いた形によりつくられており、X字状の形態をしています。染色体は細胞核の中に存在しており、分裂中期には色素で染めることにより、顕微鏡で観察できます。色素で染めることができることから、“染色体”と名づけられたのです。

遺伝子はどのような役割を担っているのですか?

遺伝子の本体であるDNAは2つの働きを持っています。

まず、細胞分裂の際に、同じDNAを複製することにより、個体全体の細胞の遺伝子を保持するほか、子供にもそのDNAを受け継がせることにより「種族維持」を図っています。

そして,代謝に必要な酵素や細胞骨格を維持するタンパク質を合成する「個体維持」の働きを担います。

種族維持のためのDNA複製はどのように行われるのですか?

それでは、遺伝子の役割の1つである種族維持のためのDNA複製について、詳しくみていきましょう。

細胞増殖時にはDNAの複製が行われます。

①まず、DNA複製の開始にあたっては、最初にDNA2本鎖の複製開始起点部分にヘリカーゼという酵素が結合し、2本鎖を末端から解きほぐしていきます(通常DNAの複製はDNA末端ではなく中間部分が起点となるが、ここでは末端起点の場合で説明)。

②続いて、DNAプライマーゼという酵素が、解きほぐされたDNA鎖のうち、リーディング鎖と呼ばれる鎖の塩基配列に相補的なプライマーを合成します。プライマーは11基程度から成り立つRNAの短い鎖です。

③さらに、DNAポリメラーゼという酵素が、プライマーの次の部分に結合し、リーディング鎖に対応するDNA鎖を合成していきます。リーディング鎖の端に残ったプライマーは鎖の伸長に伴い除去されます。

なお、DNAポリメラーゼは核酸の断片を伸長する作用しか持たないため、プライマーが結合していないとDNA鎖の伸長ができません。また、 DNAポリメラーゼは決まった方向にしかDNAを伸長できません。

DNAの複製はそれからどのように行われるのですか?

④ある程度リーディング鎖の複製が進行したところで、再びDNAプライマーゼが働いて、もう一方のDNA鎖であるラギング鎖に新たなプライマーを合成します。続いて、DNAポリメラーゼによりラギング鎖に対応する岡崎フラグメントと呼ばれる DNA鎖の合成が行われます。岡崎フラグメントとは、ラギング鎖合成時に形成される比較的短いDNA断片です(*名古屋大学の岡崎令治氏らの発見に由来)。

⑤岡崎フラグメントの端のプライマーはその後取り除かれ、次の岡崎フラグメントと順次つなげられて、ラギング鎖の複製が完了します。

リーディング鎖の最初の複製時につくられたプライマーは取り除かれたままで、この部分のDNAは複製されません。末端のプライマーが結合していた部分をDNAポリメラーゼが複製しようとしても、先導部分に当たるプライマーに相当するDNA部分がないため、複製ができないわけです。また、最後につくられた岡崎フラグメントの端のプライマーも取り除かれたままになります。したがって、全く同じDNAではなく、末端部分の短いDNAが複製されることになります。

個体維持のためのタンパク合成はどのようにして行われるのですか?

遺伝子の役割の1つである個体維持のためのタンパク合成について、みていきましょう。

DNAは、4種類の塩基とデオキシリボースという糖とリン酸から成り立っています。DNAの中の遺伝情報は、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基の並び方により保持されています。これは塩基配列と呼ばれ、DNAの鎖ではAとT、およびGとCが結ばれて、2本鎖を安定に保っています。この結合は弱く、温度を60℃以上に上げると2本鎖が解けて2つの1本鎖となります。

①まず、タンパク質合成時にはDNA2本鎖が酵素の働きで解け、この部分の塩基配列をもとにm(メッセンジャー)RNAが合成されます。

②このとき、DNAのTはmRNAのAとして、GはCとして、CはGとしてそれぞれ読み取られますが、Aはウラシル(U)としてmRNAに読み取られます。

③このように、DNAの塩基配列を転写したmRNAは核の外に出て、リボソームへと移行します。リボソーム近辺には、特定のアミノ酸が結合したt(トランスファー) RNAが存在しています。tRNAにはアンチコドンと呼ばれる部分があり、結合しているアミノ酸別に固有の構造を有しています。

④リボソームに移行したmRNAの3つの塩基配列に対応したアンチコドンを持つtRNAが次々に結合します。続いてtRNAに結合していたそれぞれのアミノ酸が、酵素により順に結合されて長くつながり、 tRNAから切り離されタンパク質ができ上がります。

このような一連のメカニズムは、セントラルドグマと呼ばれています。

タンパク合成におけるDNAの塩基配列にはどのような意味があるのですか?

tRNAは、mRNAの3つの塩基配列に対応して、特定のアミノ酸を運びます。

つまり、mRNAが転写した元となったDNAにおける3つの塩基配列がアミノ酸1つに対応しており、DNAの3つずつの塩基配列がどのようなアミノ酸によりタンパクをつくるかということを指示している暗号(コード)となっています。

1番目の塩基がシトシン(C)、2番目の塩基がアデニン(A)、3番目の塩基がチミン(T)の場合にはヒスチジン(H)というアミノ酸に対応していますが、3番目の塩基がグアニン(G)ではグルタミン酸(Q)が合成されます。

ATGというコードはメチオニン(M)というアミノ酸に対応していますが、この配列は同時にタンパク合成開始の合図となっています。一方、TAAやTAG、TGAの場合は、タンパク合成を終了させるコードで終止コドンと呼ばれています。

4種類の塩基の3つの組み合わせにより、全部で64通りのコードができることになりますが、Mとトリプトファン(W)以外のアミノ酸を指示するコードは複数あり、20種類あるアミノ酸に対応できるようになっています。

タンパク合成におけるDNAの読み出し開始はどのように行われるのですか?

DNA上の遺伝子を読み出してタンパク合成を行う過程は、厳密にコントロールされています。

遺伝子情報の読み出しが開始される位置の前のほうのDNAには、エンハンサー領域、プロモーター領域と呼ばれる部分が、またプロモーター領域にはTATA box と呼ばれる部分が存在しています。

DNAが読み出されるためにはこれらの領域にさまざまなタンパクが結合して、読み出しが開始されます。

①まず、エンハンサー領域のDNAに、いくつかのタンパクからなる転写因子というタンパク群が結合します。

②続いて、複数のタンパクからなるコアクチベーターというタンパク群が、転写因子に結合します。

DNAの読み出しはそれからどのように行われるのですか?

③転写因子に結合したコアクチベーターは、次にテロメア結合タンパク=TBP(TATA box binding protein)と呼ばれるタンパクと結合します。TBPはDNAのプロモーター領域に存在するTATA boxに結合し、その結果、DNAが折り曲げられた形になります。

④さらに、TBPは基本転写因子というタンパク群と結合して、RNAポリメラーゼⅡを呼び寄せます。RNAポリメラーゼⅡはDNAに結合し、 DNAの2本鎖を開いて「読み出し開始位置」から順に読みはじめ、前駆体RNAを合成します。

これ以外にも、プロモーター領域には特定の塩基配列が繰り返される部分がいくつかあることが知られており、この配列がDNAの読み出しを多くしたり少なくしたりしていることが知られています。

すべてのDNA情報がタンパクに翻訳されるのですか?

DNAの塩基配列のすべてが、タンパク合成のために使われるわけではありません。

DNAには、タンパク合成を指示する情報を持った「エキソン」と、直接的にはタンパク質のアミノ酸配列の決定に関与しない「イントロン」と呼ばれる部分があります。

DNAの塩基配列を転写した前駆体RNAは、スプライシングという過程の中でイントロンが抜き取られ、残りのエキソン部分が結合して完全なタンパク質配列を示すmRNAへと成熟していきます。

したがって、DNAのエキソン部分の塩基の並びが、タンパク合成のもととなる情報として使われることになります。


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