MRに看取りに寄り添う覚悟はあるか?

在宅プロモーションを考える

この教材を担当したのは?

文責:半田千尋

金融会社営業職を経て特許事務所へ転職。医療機器関連の特許を多数担当する。医療専門出版社SCICUSを経由し、2018年よりメディカル業界唯一のMR研修専門情報誌『Medical Education for MR』編集長を務める。

この講義で伝えたいこと

いま、MRの皆さんが日常の業務のなかで「看取り」を意識することはほとんどないのでは、と推察します。
 病気は治るに越したことはなく、いつまでも健康で、ある日寿命を迎えたときに苦しまずに人生を終えることができたのなら、それがいちばん幸せなのかもしれません。
 もちろん、医師をはじめ医療に携わる方々は、まずは患者さんの病気を治すことに全力を尽くします。それでも、医療の力が及ばないこともあります。しかし、治癒が見込めない状態となってしまったからといって、医療ができることは何もなくなるかというと、そうではありません。治療や延命のための処置を行わないことになっても、患者さんが穏やかに人生を閉じられるよう、痛みや苦しさを取り除くために薬剤を投与するなど、患者さんへの医療的なケアは続きます。もちろん、患者さんが望むならば、最期の瞬間まで治療をやめないという選択肢もあります。治癒が見込めない状態となってしまった患者さんが、人生の最終段階を過ごすそれぞれの場所で、最期まで患者さんに寄り添う医療者・介護者がいます。
 いま現在、MRのあなたが日常業務でコンタクトをとる医師や薬剤師などに、患者さんの人生の最終段階を支える医療に直接携わっている方はいないのかもしれません。一方で、GP担当のMRは特に、終末期医療に携わる医療者と接する機会もあるでしょう。
 しかしあなたが、HP担当かGP担当かは関係ありません。人生の最終段階に使用する医薬品を担当製品に持つか否かも関係ありません。患者さんの人生の最終段階に、そして「看取り」に、医師をはじめとする人々がどのような気持ちで向き合っているのか、医療の世界に身を置く者として、その気持ちに寄り添うことができるMRになりましょう。

本編の前に

本編をはじめる前に、独自に行ったアンケート調査の結果の紹介と、基本的な用語の確認をしておきます。

看取りについてのアンケート

戦後まもない1950年代、国民の8割以上は人生の最期を自宅で迎えており、自宅で亡くなること、家族を自宅で看取ることは当たり前のことという時代がありました。それが家族形態の変化や医療技術の進歩など、さまざまな要因から、今では自宅で家族を看取ることは当たり前ではなくなっています。のちほど紹介しますが、現在、自宅で亡くなる方は全体の1割程度という数字が出ています。
 では、自宅で家族を看取った経験のある方はどれぐらいいるのでしょうか?

自宅で家族を看取ったことがありますか?

自宅で家族を看取ったことがありますか?

編集部作成

20歳以上の男女を対象に年代・性別の偏りなくアンケート調査を行ったところ、回答者のうち自宅で家族を看取ったことがある人の割合は23.7%という結果でした。年代別にみると、あると回答した人の割合が最も高かったのは60歳以上で39.0%、最も低かったのは30代で16.9%でした。

「看取り」とは

では、そもそも、「看取り」とはどういうことを指すのでしょうか。
 インターネット検索で簡単に行き当たるものとして、ふたつ、紹介します。ひとつは、こちらです。

看取りとはもともとは、「病人のそばにいて世話をする」、「死期まで見守る」、「看病する」という、患者を介護する行為そのものを表す言葉

「健康長寿ネット」より

もうひとつは、こちらです。

「看取り」とは近い将来、死が避けられないとされた人に対し、身体的苦痛や精神的苦痛を緩和・軽減するとともに、人生の最期まで尊厳ある生活を支援すること

「看取り介護指針・説明支援ツール」

これらの定義から、看取りとは、“人生の最終段階を迎えた人に最期まで寄り添う”ことであると言えるでしょう。

人生の最期についての人々の考え

では、ここから、講義の本編をはじます。
 まずはじめに、人生の最期について人々がどのような考えを持っているのか、いくつかの調査の結果から読み解いていきます。

本当は最期は自宅で過ごしたいけど…

もしあなたが、余命が限られている場合、自宅で最期を過ごしたいと思いますか?

余命が限られている場合、自宅で過ごしたいか

余命が限られている場合、自宅で過ごしたいか

「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査2018年」より作成

図は、日本ホスピス・緩和ケア研究財団が実施した意識調査の結果を示したものです。
 「もしあなたががんで余命が1~2か月に限られているようになったとしたら、自宅で最期を過ごしたいと思いますか」という問いに対し、72.8%の人が自宅で過ごしたいと回答しました。
 しかしその内訳をみると、「自宅で過ごしたいし、実現可能だと思う」と考えている人は31.2%だったのに対し、「自宅で過ごしたいが、実現は難しいと思う」と回答した人は41.6%と、実現可能と考えている人の割合を10.4%も上回っています。
 これを、同居者の有無、子どもの有無別にみたのが、次の図です。

余命が限られている場合、自宅で過ごしたいか(同居者、子どもの有無別)

余命が限られている場合、自宅で過ごしたいか

「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査2018年」より作成

同居者がいる人では、「自宅で過ごしたいし、実現可能だと思う」と「自宅で過ごしたいが、実現は難しいと思う」の差は10.6%。同居者がいない人では、その差は10.0%。子どもがいる人での差は16.3%。子どもがいない人での差は2.9%です。同居者がいないよりいる方、子どもがいないよりいる方が、差が大きくなっています。
 本当は自宅で過ごしたいけれど、同居者、特にそれが子どもであった場合、「迷惑をかけられない」とか「負担をかけられない」と考えて、「実現は難しいと思う」と答えている人が一定数以上いると推察されます。

別の意識調査(「人生の最終段階における医療に関する意識調査」)では、人生の最終段階の状態像として末期がんなど3つの病状にケース分けして、最期を迎えたい場所はどこか尋ねました。すると、意識や判断力が健康なときと同様に保たれている病状では、おおむね7割の人が自宅で最期を迎えることを希望しましたが、認知症では、自宅を選択した人は51%まで減りました。
 さらに、最期を自宅以外で迎えることを希望した人にその理由を尋ねると、最も多い回答はどの病状でも、「介護をしてくれる家族等に負担がかかるから」でした。

自宅以外で最期を迎えることを希望した理由

治癒の見込みがなく命を脅かされる病気になった場合に、自分が望んだ場所で過ごし最期を迎えられることは大切か

「人生の最終段階における医療に関する意識調査報告書」より編集部作成

これらの調査結果からもやはり、家族に負担や迷惑をかけたくないという遠慮や気兼ね、あるいは介護者への気遣いが、自宅で最期を迎えたいという本音を隠してしまっているように感じます。そしてその背景には、人生の最終段階について家族や周囲の人ときちんと話し合えていない現状があるのではと推察されます。

本人の望む場所で人生の最期を過ごさせてあげたい

今度は、別の質問をします。
 あなたが、治療の見込みがなく、命を脅かされる病気になった場合に、自分が望んだ場所で過ごし最期を迎えられることは、大切なことですか?
 あなたの大切な人がそうなった場合、その人の望んだ場所で過ごし最期を迎えられることは、大切なことですか?

治癒の見込みがなく命を脅かされる病気になった場合に、
自分が望んだ場所で過ごし最期を迎えられることは大切か

治癒の見込みがなく命を脅かされる病気になった場合に、自分が望んだ場所で過ごし最期を迎えられることは大切か

「ホスピス・緩和ケアに関する意識調査2018 年」より編集部作成

意識調査の結果は、治癒の見込みがなく命を脅かされる病気になった場合に、自分がそうなった場合よりも、大切な人がそうなった場合の方が、「自分が望んだ場所で過ごし最期を迎えられる」ことを「非常に大切」と回答した人の割合が高くなりました。
 おそらく、本人が思うよりもきっと、家族や周囲の人は、本人の望んだ場所で人生の最期を過ごさせてあげたいと思っているのではないかと感じます。

看取りの現実

次に、公的な資料をもとに、看取りを取り巻く現実についてみていきましょう。

多死社会で死亡場所はどうなる?

皆さんご存じのとおり、日本はすでに超高齢社会(※)に突入しています。
 急速な人口高齢化の進展によって死亡者数は年々増加し、


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